「雑魚は黙ってろ」という風潮について
※この記事の内容はあくまで「可能性がある」という話であり、個人の主観である。特定の誰かを批判する意図は一切ない。その点に留意の上でお読み頂きたい。
「雑魚は黙ってろ。」
この様な言葉を以前目にした事がある。
その人は恐らく、自分の実力を過信し、驕り高ぶっていたのだろう。
ポケモンにおいては、いわゆる「人権レート」という概念も、似たような考えから来ているのだろう。
しかし、「雑魚は黙ってろ」、その様な言葉を吐き、新規プレイヤーや下手なプレイヤーを排除する事に何のメリットがあるのか?
いっときの優越感と引き換えに人との縁を切り捨てて良いのだろうか?
私はそうは思わない。
なぜか。「メリットが見当たらない」からである。
一方で、新規ユーザーを排除する行為には明確なデメリットが存在する。「コンテンツの衰退につながる」というデメリットである。
なぜか。ここではその理由を、「ポケモン」というコンテンツを例に説明する。
当たり前だが、人はいつか、ポケモンを辞める。それは、新規プレイヤーを排除する姿勢の人間とて例外ではない。
つまり、「ポケモンプレイヤー全体」という観点から見たとき、必ずそこから流出する人間がいるということである。
にもかかわらず、「雑魚は黙ってろ」と暴言を吐き、新規プレイヤーを排除すればどうなるか?ポケモンプレイヤーはどんどん数を減らし、その傾向が続けば、最終的には「ポケモン」というコンテンツそのもの(のうち、少なくともガチ対戦の部分が)終わりを迎えるかもしれない。そしてそれは、「雑魚」を排除しようとする人間にとっても良い事では無いだろう。
しつこいようだが、相手批判や誹謗中傷からは何も生まれない。そんな事をするより、新規プレイヤーを「ガチ勢」へと育て、同時に「教える」事で己の思考を整理する方が余程有意義であろう。
そもそも、せっかく人が貴重な「意見」を提示してくれているというのに、それを「黙ってろ」と一蹴するのは、「人と人のコミュニケーション」という観点から見ても失礼ではないか?
「教える」のは自分にメリットがないから嫌だ、というならせめて、意見をくれた方に対してまともに返答するべきだと思うのだが、こう思うのは私だけだろうか。
(追記)「一般論」という文言について指摘を受け、矛盾していることが分かりましたので、修正致しました。申し訳ありません。