適材適所
先日の放送から得た着想。
能力開発の話題になると、よく努力か才能か、という話になるが、自分は後者の方が遥かに重要であると思う。
なんなら、「才能がない人間はどうあがいても天才には勝てないので、自分自身が天才になりうる分野を探すべき」とすら考えている。
この考えの根っこにあるのは高校時代の体験である。私が通っていたのは偏差値70位の所謂「進学校」と言われるところで、学業における環境には恵まれていた。私自身も当時は1日12時間勉強し、頂点に立とうと努力していた。学業においては間違いなく本気で取り組んでいたと自負している。
しかし、それでも全国模試一位を取れた訳ではないし、入試本番の点数だって首席を取れた訳では無かった。それどころか学校内ですら、遂に一度もトップを取れないまま卒業する事になってしまい、却って心が折れる原因になった。
そもそもその高校には、数学オリンピックで賞を取った人間や、学生にして特許を取った人間などの天才がごろごろ居て、私の心を折るには充分過ぎる環境でもあった。
こういう事があったので、自分は(少なくとも学業の分野では)一山いくらの凡人に過ぎない事、そして天才は努力すらも楽しんでいるので、そういう人間には逆立ちしても勝てない事を悟ったのである。
このような事を書くと、「そもそも天才に勝つ必要があるのか?」とか「ネガティブだ」とか言われそうである。
まず天才に勝つ必要性があるのかという話であるが、ある程度メジャーな分野で名を挙げようと願うならば必要になるんではないだろうか。
例えばポケモン対戦ですら、強者と呼ばれる方で最初のシーズンから2000に乗った方がいる、という話を聞くと、才能の差を感じずには居られない。ポケモン対戦で名を挙げようとするならこういう方とも競わなければいけない訳である。
次に「ネガティブだ」という話についてであるが、個人的には寧ろ精一杯ポジティブに考えた結果だと思っている。
「天才に勝てない」という事を裏返せば、「天才になれる分野で努力すれば必ず勝てる」という事でもある。
そもそも、真っ当に社会生活を送っている方であれば、誰しも才能のある分野というのがあるはずなのである。
分かりやすいことを言えば、子供の頃や学生の頃に、他の方から褒められたことというのがあるはずである。
私の記憶を辿って例示するなら、
・執筆速度が速い
・物の見方が独特
・自分の意見をはっきり提示できる
と言うようなところで褒められた覚えがある。
こう言う「誰かから褒められた事」を起点にして打ち込む分野を探した方が幸せになれるのではないだろうか。
他人の評価を一切考えず、「やりたい事」を優先して全てを捧げるのも素晴らしいと思うし、そういう努力が出来る方は尊敬している。
ただ、そのようなやり方でもし閉塞感を覚えているなら、一度立ち止まって考えてみるのもありなのではないだろうか。